スタッフブログ
2023.11.09
25周年目に突入しました。
本日は私にとって特別な日です。
1999年11月9日に私共は納得住宅工房㈲として静岡県富士市永田町に誕生しました。
本日はバースデーで25周年目に突入です。
感慨深いです。
良い家を建てたくて、会社員であると何かと理不尽な文句を言われ、年間数棟程度、紹介のお客様だけで運営して行こうと起業しました。
ハウスメーカーの家創りが、安普請のビニールハウスを売りつけている様で、凄く戦ってきたのが設立当初です。
会社を大きくするイメージが全くなく、私の信念がお客様に炎上し気が付いたら受注ストップで、秋をお客様が待っている様な状態になりました。
そこから会社のスケールメリットを生かし、海外デザイナー達とオリジナル建材などを毎月開発し検査し最新のお客様の作品にコンポーネントするという、仕事に狂っていました。
私が以前書いた著書に詳しくは書いておりますので、もし宜しかったらお読みください。
何をしたかったのか今ではよく分からない程、ハードでストイックな24年間でした。
日本の家創りを、もっともっと素敵に美しくしていきたい。
お客様に敬意を表する会社を創りたい。お客様からすると当たり前に見えるでしょうが、この業界は目の前のお客様を騙し、取れる所から利益を貪る汚い方が多い。
自分の仕事はいつ終わるか分かりません。
いつ仕事が出来なくなったとしても悔いが無いように、仕事内容に拘ってきました。
色々な事がありましたが、スタッフ、お客様に恵まれ今日と言うバースデーを迎えれました。
四半世紀 ワンオーナーで無事迎えられました。
借入を嫌い現金に拘り会社の内容をお客様に常に誇れる様に、大変な時こそ笑い泣きたい時には離れた場所で泣きました。
納得住宅工房と言う名前には覚悟を持っておりました。
自分の仕事だけは命を懸け誰にでも誇れる物にして人生を終えたい。
25周年目を向かえ、この当時の気持ちと何も変わらない、成長の無い僕がいます。
会社もグループ会社含め50億円を超え、来期は60億円と成長が止まりません。
こんな状況31歳の僕は想像もしておりませんでした。
200棟体制になり、ほぼ注文住宅だけ。
ほとんどが紹介なんて会社は、他には知りません。
顧客満足度が低い業界です。
クレーム産業でもあります。
そんな劣悪な業界で、これだけ磨かれた会社を創れて心から感謝をしております。
25年間走り続け、学び過ぎ、働きすぎ、好きな事を興味を持ち調べ過ぎ、伝えたがりな性格は、残念ながら全然衰えません。
新築だけで2300棟引き渡しているなんてクレージーです。
しかし身体はボロボロ。
頸椎ヘルニアが悪化し、起業してから初めての入院生活に入ります。
多分一瞬で完治して、更に仕事に一直線になるんだろうなぁ。
社員に迷惑をかけるんだろうなぁ。
本当にごめんなさい。
会社経営は大嫌いだけど、家創りは人生を賭けるに値するほど価値があり楽しい。
いつまで経っても楽しい。
神様に感謝をするならば、この仕事を与えてくれた事、そこから沢山の方々と関り素敵な人生を創れてこれた。
こんな人生は二度とない。
家創り最高!nattoku住宅最高!社員の皆さん最高です!ここから会社は第二章を迎えますが、成長意欲、挑戦意欲、そしてお客様に最高のホスピタリティを届けようとしている社員を見ていると、絶対に更に成長するでしょう。
今振り返り1棟目のY様の家も今でもピカピカ。
ALCにブリックを貼り、吹抜けがありオール桧でドアも床材も無垢。
2棟目、3棟目、広見のY様、I様、M様。今考えると何もない僕になんであんなにお客様はついて来てくれたのでしょう?
31歳の僕に全人生を任せるのですよ?
あり得ない。恐ろしいほど感謝です。
当時は何処の家にも大黒柱がありました。
コンセプトが全然ブレない。
25年前の自分に会いたいです。
『まぁジジイになったなぁ。引退しろ。老害は消えろ。』と間違いなく言われるね。
25周年のnattoku住宅.ARC DESGIN WORKS.BLUE STYLE.ARC STYLE.断熱マイスター.MICHIO NOZAWA SHIZUOKA.素晴らしいGROPと戦いデザインの可能性、お客様の感動をブーストさせたいと思い続けていきます。
最後にオープニングスタッフでは無いですが、初期に自邸を任せてくれ起業を後押し応援してくれた親友の倉本 大に心から感謝を申し上げます。
有難う御座いました。